結婚は地獄か否か~地獄への道は善意で舗装されている~

結婚に夢を抱くことは素敵なことです。
ただし、“結婚=ゴール”という認識のまま過ごすと大変なことになります。
やはり結婚すると、独身時代と比べて自分より相手を優先させなければならない場面も増えるため、まるで地獄のようだ…と感じてしまう人も少なくありません。
確かに、自分のためだけに生きられない部分もありますが、果たして結婚は本当に地獄なのでしょうか?
今回は、結婚が地獄であると考えられている原因を探ると共に、地獄という概念はどこからやってくるのか、そして、スランプに陥った時はどのように対処していけば良いのかについて考えていきます。
現実が夢をのみこんでゆく現在
結婚をして夫婦になることを決めれば、住むところ、そう、新居を探します。
新居では、こんな暮らしがしたい、家の中もこんな感じにしたい、家具一つ一つもこだわりを持ちたい等、各ご夫婦や個人によって、いろいろな理想があるのではないでしょうか?
これからのことを考えている時間は、とても楽しいものです。
入居する日が決まり、待ちに待った引っ越しの日がやって来ました。
しかしながら、二人の生活が始まったその日から、現実の波はゆっくりと確実に押し寄せてくるのです。
さて、ちょっと現実の生活を覗いてみましょう…。
今の時代に多い共働き世帯の場合、優先されるのが仕事となれば、なかなか2人の時間が持てません。
せっかくの休日も、親戚付き合いで予定が埋まってしまう可能性だってあります。
上記は一例に過ぎませんが、いざ、現実の生活が始まってしまうと、理想に描いていた生活は音を立てて崩れてゆきます。
時が理想を覆いつくすまでの時間はあっという間でしょう。
世にいう、「百年の恋も冷めてしまった」状態に陥った夫婦にとって、それでも現実世界を生き抜かなければならないことこそ、結婚は地獄と解釈されている所以なのです。
結婚は自動的に幸せになれるシステムではない
結婚は本来、縁があって夫婦になり新しい家族が誕生するという、おめでたいことでことです。
だからと言って、結婚が幸せに直結しているわけではありません。
また、結婚は自動的に地獄に直結しているわけでもありません。
結婚はあくまでも出発点に過ぎず、今後もお互いを尊重しなければ、地獄はいとも簡単にやってきてしまいます。
持続させることが最も大切で、難しいのです。
結婚が地獄と考えられている理由
ところで、“結婚=幸せ”が、いとも簡単に“結婚=地獄”なってしまうには、180度の方向転換が必要だと思いませんか?
その原因の一つに、現実世界を生き抜かなければならないことが挙げられます。
“結婚=地獄”と、解釈がガラリと変わってしまうくらい、現実生活というものが厄介だと思われているのは何故でしょうか。
確かに、生まれも育ちも全然違う者同士が結婚して、一つ屋根の下に暮らすのですから、今までの習慣の違い、生活時間の違い等、お互いの相違点はたくさんあります。
お付き合いの期間が長ければ、様々な生活習慣の違いを理解し合えるということもあるかもしれませんが、やはり、理解できない所も出てきてしまいます。
「どうしても理解できない」「結婚して初めて知った」等、“負の発見”が積み重なり、折り合いがつかないままお互いに関して諦めてしまった時、結婚は地獄に変わるでしょう。
独身時代は自分の好きなものに好きなだけ時間をかけられましたが、結婚すると、相手に合わせなければいけないことがたくさん出てくるのです。
結婚して、今までの「好き」が全部「嫌い」に変わってしまうことこそ地獄でしょう。
それは、相手を見続けなければならないからです。
折り合いのつかないパートナーを“毎日見続けなければならない”のが、悲しい現実世界を作り出しているにちがいありません。
結婚はゴールではなくスタートである
“結婚は自動的に幸せになれるシステムではない”の最後のほうでもお話ししましたように、結婚は幸せのゴールではないし、そもそも地獄でもありません。
結婚はスタート地点に過ぎず、バラ色の生活か地獄の生活か、どちらの道を歩むかは今後の2人次第です。
人生も終盤に差し掛かった際に、今までを振り返って「自分は幸せだったなぁ」と感じられて初めて、ゴールに到着するのではないでしょうか。
地獄の実態
結婚が地獄である理由に、現実世界として折り合いのつかないパートナーを毎日見続けなければならないことを挙げました。
今まで別の生き方をしてきたパートナーとは、相違点があって当然ですが、お互いに尊重し合えていれば、たとえ相違点が見つかったとしても気にならないものです。
さらに言うと、お互いの相違点が見事にコラボレーションし、夫婦というのは似てくるものです。
コラボレーションできる要素の数によって、結婚が地獄と感じられる度合も変わってくるでしょう。
このように、結婚と地獄の関係性は、何かしら変則的な要素がありそうな気がします。
では、地獄の実態とは何なのでしょうか。
例えば、結婚前と結婚後には食生活の違いがありますよね。
実家の母が作った料理と、奥さんが作った料理に違いがあって当然です。
ここからが問題で、今後も実母の料理法のままでいくのか、妻の新しい料理法に慣れていくのか、極端に言うと、夫はどちらかの選択を迫られます。
ここで夫が実母の方を選んでしまうと、大変なことになります。
言わずもがな、結婚が地獄と化した瞬間ですね。
それも、まだプロローグに過ぎません。
注目すべきは、このような我慢が積もり積もることです。
いよいよもって、保険は満期を迎えてしまいます。
この、結婚後に、“チリ”が積もって山になった我慢こそが、地獄の実態ではないでしょうか。
日常の中で、“チリ”は、2人で旅行する、プレゼントをするなどして解消できるにも関わらずまったくしない、それどころか、妻が我慢していることにすら気が付かないとなると、結婚は地獄以外の何物でもなくなってしまうでしょう。
結婚後、「自分が我慢すればいい」という妻の消極的考えと、それに甘え、依存する夫の見て見ぬふりが、地獄を作り上げてしまっているのです。
地獄への道は善意で舗装されている
「地獄への道は善意で舗装されている」とは、イギリス、ドイツのことわざで、「良いと思って行ったことが良くない結果を招く事」を意味します。
例えば、結婚するとお盆や正月など、親戚の集いが増えますよね。
そこでの振る舞い方を例にとって見てみましょう。
妻が気を使って「あまり馴れ馴れしいのはいけない」と思い、礼儀正しく振る舞ったとします。
ところが、親戚の反応は予想に反して「あの子は、よそよそしい」となってしまいました。
このように、良かれと思った行動が裏目に出てしまうことがあります。
自分が良かれと思うことが、相手にとっても最良とは限りません。
逆に、相手が良かれとしてくれたことが、自分には良くなかったと感じることもあって然りです。
善意、つまりは、夫のために我慢して“あげた”、妻のために気を使って“あげた”ことが、結婚生活を地獄に変えてしまったからくりなのです。
自分と相手との違いをどのように埋めていくのか、また、表層的な善意ではなく本音で話し合えるかどうかが、結婚が地獄に変わるかどうかの境界線となるでしょう。
結婚が地獄と感じるのは、正義と正義のぶつかり合いが起こるため
結婚していると、しばしば、自分と相手が育ってきた環境や考え方の違いについてどちらが正しいのか議論する光景を目にします。
例えば、相手が、常に男性が優先される家庭で育ったとしたら、どうでしょう。
確かに、母が父を立てる家庭が多いので、ある程度の男性を優先することは理解できますが、度を越したものであれば理解できなくなると思います。
この場合、どちらが正しい・正しくないは無く、どちらも正義なのです。
正義と悪のぶつかり合いなら話は早いのですが、正義と正義のぶつかり合いなら話は非常にもつれ込んでしまいます。
結婚後、早期解決できないまま、お互いに不満を持って解消できずにいると、地獄のように感じてしまうことでしょう。
喧嘩しながらも話し合うことが大切
結婚を地獄にしない方法、それは、話し合うことなのです。
どちらも正義ですから、話し合っても結論が出ないかもしれません。
しかしながら、この場合の話し合いというのは、正義を決めることが大事なのではなく、適正化を図ることが大事なのです。
自分と相手がいかに我慢せずに、楽しく生活を送っていくための話し合いは、お互いにとって有意義なことだと思いませんか。
結婚を地獄にしないためにも、自分の境界線の話をすることで、相手がどこまでの優先権があるのかを理解し、境界線を越えた部分については、相手が譲っていくといった心意気が必要です。
まとめ
結婚が幸せのゴールではありません。
だからと言って、結婚が地獄でもありません。
結婚を地獄にしないために、相手とどんなに喧嘩しても話し合いの場を持つことがとても大切です。
相手と話し合うということは、自分と相手の生活習慣、価値観等のいろいろな違いを埋める最良の方法です。
お互いが話し合って、それぞれの違いを認め合い、譲り合って行ける生活を送ることができれば、決して、結婚が地獄になることはありません。
幸せな結婚のゴールへたどり着けることでしょう。
さあ、あなたも、素敵な方と出逢って、何十年か先の幸せなゴールへたどり着けるような結婚をしてみませんか。